歌手&ピアニスト&講演家
徳島県出身。未熟児網膜症と医療ミスが重なり5歳で失明。徳島県立盲学校在校中、12年間の過酷な寮生活といじめを経験。10歳のとき両親が離婚。多くの苦しみを不屈の精神で乗り越え、独学で習得したピアノを専門的に学ぶため単身上京。筑波大学附属視覚特別支援学校音楽科を経て、武蔵野音楽大学ピアノ科にトップ入学。
現在、福音歌手&ピアニストとして“音の光トークコンサート”を全国各地で行っており、心に響く歌声と力強いメッセージを通して、多くの方々に希望の光を届けている。
筑波大学附属視覚特別支援学校専攻科音楽科卒。
武蔵野音楽大学器楽学科(ピアノ)卒。
東京バプテスト神学校神学科卒。
カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士(Dr. of Divinity)授与。
ピアノを足立勤一、故若尾輝子、マックス・マルティン・シュタインの諸氏に師事。
声楽を人見共、新垣勉、中山文雄の諸氏に師事。
第31回ヘレン・ケラー記念音楽コンクールピアノ部門第1位受賞。
CD「ことりがそらを」でメジャーデビュー。
フジTV系列「奇跡体験!アンビリバボー」に出演。
TV番組ハーベスト・タイムに出演。
第18回全国身障者スポーツ大会陸上競技2種目で金メダル獲得(投擲競技で大会新)。
生い立ちについて
◆失明・家族の崩壊・・・未熟児網膜症で生まれ、医者の不手際により5歳で失明。医者に治らないと宣告されても諦めきれない母親は、息子の目が見えるようになるならと、ありとあらゆる宗教にすがり、お金を注ぎ込んでいく。一方父親は養鯉業で一攫千金してから金の亡者になっていく。毎晩飲んで帰っては罵声を上げる父と母の悲鳴。幼少時の北田は押入れで震える毎日。そして10歳の時、母親は無一文で追い出され、すぐに二番目の母親が家に入り込み、いびりが始まった。
6歳で盲学校に入学。13年間の寮生活。心の鬱憤を音の出るあらゆる楽器にぶつける毎日。音楽だけが友達だった学生生活。いつも苛められた苦い過去。「自分だけがどうして・・・。」ぶつけるところのない苛立ちばかりが募る孤独な日々を過ごした。しかし転機が!・・・
高校入学と同時に転任してきた吉村先生がいち早くその音楽の才能を見出し、しかも生徒としてではなく、一人の対等な人間として語りかけ、親身に耳を傾け、音楽をもっと伸ばすことを勧めてくださった。そこで得た自信と自己肯定が一つのターニングポイントとなり暗く閉ざされた心に希望の光が差し込むのを感じた。
◆新垣勉氏との出会い・・・徳島県立盲学校から全盲学生初の進学。武蔵野音楽大学ピアノ科に入学。初めて見える者ばかりの世界を経験し、自分の目が見えないことを本当の意味で実感。暗闇のどん底に突き落とされたような無力感と挫折感に打ちのめされたその時、第二の運命的な出会いを迎えた。入学試験の時一緒になった年上の視覚障がい者、新垣勉氏との出会い。共通点の多い境遇、そして音楽が二人を強く結びつけていった。
◆母親との再会・・・母は辛いどん底の生活から這い上がり、美容師の資格を得て徳島で小さな美容室を開業。息子に逢うことだけを夢見て、昼は美容室、夜はスナックという働き詰めの生活を送っていた。息子の大学卒業を機に上京し、20年目にして再会を果たした。
◆父親の死・・・2002年10月、「いのちの電話」主催のコンサート出演のため、18年ぶりに徳島に行った際、父親との再会が叶った。和解したのも束の間、2005年6月突然の訃報。脳溢血による急逝。借金しか残さなかった父。実家も他人の手に渡り、形見は二つの小さな石だけだった。それは手先の器用だった父が川で拾って細工したもの。葬儀は、毛嫌いしていたキリスト教式で執り行われた。司式は盲学校時代の恩師、吉村孝雄先生が執り行ってくださった。父はずっと吉村先生を嫌い、聖書も讃美歌も奪い取って、先生の話すキリスト教に対し頑なに反抗していたが、先生は私の家族のことをいつも祈り続けてくださっていた。そんな父が、亡くなる直前、孤独に打ちひしがれ、先生に電話をして助けを求めたという。先生の祈りがきかれたのだと思う。キリスト教式で葬儀を終え、教会墓地に眠ることになるとは想像だにしなかった。
◆アルバム発売・・・2004年の「ことりがそらを」につづくセカンドアルバム「心の瞳」を2006年8月に発売。父親の死を通して学んだこと、世界平和への祈り、子供達へのメッセージ等々、多くの祈りや希望を込めた入魂の作品に仕上がっている。ぜひ多くの方々に聴いていただきたいと願っている。そして、2009年8月、サードアルバム「藍色の旋律−愛・祈り・平和・自由−」を発売。星野富弘作詩・武義和作曲の「母三章」や、被爆ピアノに捧げる曲などを収録。2010年には、デビュー20周年記念アルバムとして、「Mind's
eye マインズアイ〜心の瞳〜」を制作し、コンサート会場限定で販売開始。2012年3月、東日本大震災を覚えて、自分にできることはないかと模索し、初の讃美歌CD「人生の海の嵐に」を制作。2016年アルバム「Mind's
eye マインズアイ〜心の瞳〜」と「藍色の旋律−愛・祈り・平和・自由−」の内容を一部変更して、「見上げてごらん夜の星を」と「旅立ちの日に」として再リリース。2018年6月、2枚目の讃美歌CD「アメイジング・グレイス」をリリース。2019年11月16日、3枚目の讃美歌CD「聖夜 歌とピアノで綴るクリスマス」をリリース。2022年4月1日、賛美伝道30周年感謝記念CD「わが感謝の贈物」を無料配布。
メディア出演・掲載
- 「奇跡体験!アンビリバボー」 詳細は右の画像をクリック→
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- 愛知県人権週間啓発事業 ♪ 顔がちがっていいね
声がちがっていいね
みんなひとつになれるから
人間っていいね
人間っていいね
みんなひとつになれるから♪
私たちは、生まれたときから一人ひとり顔も声も違います。
お互いの個性を認め合い、一緒に歌うことによって、あたたかな、ひとつのハーモニーが生まれます。
社会においても、同じことです。
誰もが自分らしく生きていくこと、それぞれがお互いの違いを認め合い、共に生きることによって、あたたかなハーモニー(心豊かな社会)を実現することができるのです。
誰にでも、自分にしかできないことがあります。
みんな、かけがえのない一人ひとり。お互いの違いを認め合える社会を。
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- 週刊女性「人間ドキュメント」 『ありのままを受け入れ、 ありのままに生きる』
- 週刊女性「人間ドキュメント」のテキストPDFはこちらをご覧ください。→
- 教育新聞
「教育新聞」のPDF版はこちらをご覧ください→
- サインズ オブ ザ タイムズ
「サインズ オブ ザ タイムズ」のPDF版はこちら→
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「房総時事新聞」─社説─より
感動の種播き(上)
五月十四日、君津市民文化ホール(中ホール)は、上総・小櫃「おびつ」地区の中学生で埋め尽くされた。
上総ロータリークラブが四十周年を記念して、地域の中学生に贈る「盲目のピアニスト」北田康広氏のうた&ピアノ&トーク一人三役の記念講演とコンサートの会である。
会の始めに、会長から、感動と希望を期待し、中学生時代の良き思い出にとの挨拶に続き北田氏が登場された。
未熟児網膜症と医療ミスが重なり、五歳にして失明、両親の離婚という二重の苦しみの中で、それを不屈の精神で乗り越え、徳島の盲学校を終え、武蔵野音楽大学ピアノ科に学び、ヘレン・ケラー協会主催全日本盲学生音楽コンクールに第一位受賞された三十八歳の講師である。
二重苦を背負いながら、何と清楚で温顔。静かな空気を震わせるようにコンサートは始まった。最初は、井上陽水の曲「少年時代」を中高生時代を懐かしむように歌われた。過ぎ去った過去は懐かしいが、当時の時間をもっと大切にしておけばよかったと。時間は取り戻すことが出来ない。その教訓を今後の人生に生かしてゆきたいとひと言一言毎に点字をたどりながらのトークである。やがて切手のない贈り物、大きな古時計など、共鳴のある美しいバリトンに中学生はすっかり聴き入った。
そして、ポケットの触読式時計で時刻を確かめながら、「時計は人生そのものですね。時間は、どの人にも平等に与えられる。それを自分でしっかり受け止めて活かすことです。
多感な少年時代、私も悩みました。悲しい時、思いました。せめて一分でいい私に視力を戴けるとしたら、夜空の満天の星を仰いでみたい…」
会場は、水を打ったように静まりました。
ふとみると隣席の生徒もその隣りの生徒も涙をふいていました。
そして「見上げてごらん夜の星を」を歌い始めました。静かに流れる歌声に頬を伝わる涙を抑えきれない男生徒の姿を見ました。
一人でも癒される。二人、三人と寄れば、もっと癒され希望も湧いてくる。
内から癒されるように創られているのが人間なのです…。」
何という珠玉に満ちた言葉だろう。(続く)
感動の種播き(下)
歌とピアノとトーク一人三役の北田康広氏の出演に、満席の中学生は感動の渦の中に巻き込まれていった。
やがて、ピアノの前の北田氏は、静かに「エリーゼのために」を弾き、続いて、「悲愴」ソナタ三楽章と、ベートーヴェンの曲を披露したが、何という美しい響きであろう。
青春のあこがれを語りかけるようなピアノは、やがて若き日の悲しみや挑みを弾き上げるように渾身のタッチでキイを打つ…その姿は神々しい程である。
そして、シューベルトの即興曲に移った。繊細で清らかな曲の流れだが、時には情熱が高まり、即興曲ならではの醍醐味を存分に感じとれる演奏であった。
続くトークでは、「一人一人の心が平和でありたい。どんな戦いでも悲しい傷あとを残すのが戦争です。五十年経ても沖縄には戦いの傷あとが多く残されている例を見てもわかります。」と、さとうきび畑の歌を始められました。
やがて、二十三才でこの世を去った、瀧廉太郎の話に移った。
「実は息を引き取る前、自分は死んでも『荒城の月』は残る。お母さん、それを自分と思って下さい」といい残したそうだと、エピソードを加えて歌われた。
そして、疲れた時はアベマリアを歌い、心をしずめて明日への力を信ずる私です。
幸いなるかな「慈愛の種播きをしましょう」という二〇〇三年・国際ロータリーのテーマは、見事に成就された感動の時間であった。
最後に、「私は一生盲目とつきあいます。この世の情報は九十%は視覚からのものですが、私は絶望しません。私は歌とピアノで、卑屈にならず生きた証しをお返ししてゆきます。その人にしか出来ない、自己ベストを尽くし自分らしく生きてゆきます。人を羨むだけでは、持っているものさえ小さく萎んでしまいます。自分の輝きを大切にしようとした時、希望がみえてくるのです…。」
あらしのような拍手のあと「明日がある」を全員で歌いあげて会は果てた。
それにしても感受性の強い中学時代に、このような感動の機会を与えた意義は大きい。
彼らは生涯この物語を胸に生き抜くであろうと、主催者の英知に感服したのであった。
「音の光」(自分史)
2016年11月発行。A5版 40ページ
2018年12月改訂版発行 A5版 70ページ
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- TV番組「ハーベスト・タイム」、四国放送「おはようとくしま〜あすかと2ショット〜」、TBSラジオ「人権TODAY」、「中村尚登 ニュースプラザ」、
JFN「THE VOICE」(FMラジオ)他
- 朝日新聞「ピープル」、週刊女性「人間ドキュメント」、サンデー毎日「News Navi」、 月刊MOKU「特集〈研ぐ〉〜私に与えられた音楽と障碍〜」、点字毎日「転機を越えて」、
読売新聞、ショパン、英字新聞Catch a Wave「People」、クリスチャン新聞「この人、この証し」、こころの友「この人を訪ねて」、カトリック新聞、
音楽のまち・かわさき、教育新聞「特集:日本の伝統・文化を未来につなぐ」、PLASMA「Follow Me」、 佼成、 房総時事新聞、CHRISTIAN
TODAY、サインズ オブ ザ タイムズ、ちから 他