オンリーワンの命を大切に
♪悲しいとき、つらいとき私は思いました。 せめて1分だけでいい。私に視力を頂けるとしたら、 夜空に輝く満天の星を仰いでみたい・・・・と。 それは叶わない夢でした・・・。
それでも私は絶望しません。 世界でたったひとりの私、かけがえのない私という命!自分にしかできないベストを尽くす。 そうすれば、道は必ず開けてきます。
私もあなたもこの世にたった一人しかいない存在なのです。障がいがあっても、どんなに苦しくても、自分の代わりはいないのだ・・・。 そう、わたしはいつも自分に言い聞かせています。
♪その人にしかできない、自己ベストを尽くし、自分らしく生きていくのが大切。人を羨むだけでは、持っているものさえ小さく萎んでしまいます。自分の輝きを大切にしようとしたとき、希望が見えてくるのです。
♪自分にしかできないことがある。自分にしか演じられない人生がある。だから誰もが皆、自分らしく生きてほしい。
♪人の一生は儚いけれど、与えられたものを最大限に用いて命を弾(はず)ませることが大切ではないかと思うんですね。
♪視覚障碍というのは、回り道になったけれども、音の奥行きにつながったところは確かにあります。闇は深ければ深いほどその光も輝きを増すと思うんですよ。
♪人間の世界は不公平なようにみえますが、神のご用のために一人ひとりがつくられていると思えば、人間同士がお互いを比べる必要もありません。
人間も、必要のない人は誰もいなくて、神のご意志の中ではみんなが必要なのだろうと想像します。それに人間が気がつかずにいがみあっているだけではないでしょうか。健常者だけが障碍者に何かをやってあげているのではなく、障碍者が健常者に役立っていることもあるだろうと思います。
♪これまでの歩みにおいてマイナスとしか思えないことも、生きて働かれる主が、プラスに変えてくださるという素晴らしい恵みをいただきました。それからは、物事を前向きにとらえ、『ただ神のみ業があらわれるため』に、ひたすら主を信頼して歩み続けたいと願っています。
♪井村和清氏の「あたりまえ」という詩があります。『そのありがたさを知っているのは、それをなくした人たちだけ。なぜでしょう。あたりまえ。』という言葉で締め括られたその詩にとても共感し、考えさせられます。生かされてある命の本質を問う言葉だと思います。
♪あってもなくてもいい存在なんてない。気張らず自己ベストを目指す。そうすれば、たとえマイナスとしか思えないことでも、神様が変えてくださる気がします。
♪私は一生、盲目と付き合います。この世の情報の90%は視覚からのものですが、私は絶望しません。歌とピアノで、卑屈にならず、生きた証しをしていくのです。
♪時計は人生そのものですね。時間はどの人にも平等に与えられる。それを自分でしっかり受け止めて活かすことです。
♪一人一人の心が平和でありたい。どんな戦いでも悲しい傷跡を残すのが戦争です。
♪音楽は、複雑で捕らえようのない人の心と魂の深層に直接働きかけ、それを揺り動かし、人生観さえ一変させてしまう力と可能性を秘めているのです。
♪外見は違っても、一人一人の価値は全く一緒で、その価値は尊くかけがえのないものなのです。
♪私達はすぐ他人と比べたがりますが、それから解放されて、”オンリーワン”な存在を目指して頑張れば、おのずと道は開けてくるのではないでしょうか。
♪だれもが神からひととおりのものを与えられている。それに気がつかないか、生かしきれていないだけ。
♪音楽の分野でも、障がいや苦しみを抱えているほうが、音に響きや粘りといったものが生まれることがあります。ツルツルの氷の上は歩けない、ひっかかるものがあるから歩ける、それと同じことです。「ひっかかるもの」が生きる上では精神的にも必要なのではないかと思います。
♪夢をあきらめてはいけない。できないと決めつけてはいけない。それでは必ず後悔する。だれがなんといっても進むべきだ。
♪まばたきの詩人・水野源三の詩野仲に「生きる」という詩をご紹介します。
神さまの
大きな御手の中で
かたつむりは
かたつむりらしく歩み
螢草は
螢草らしく咲き
雨蛙は
雨蛙らしく鳴き
神さまの
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる
誰もがオンリーワンの存在です。私もその一人として、私に与えられた使命に生きたいと願っています。
今日はみなさんと一緒に、楽しい音楽のひとときをもつことが出来てありがとうございました。お会いできたことを感謝して、最後に三つのことをお話しさせていただきます。ちょっと難しいかもしれませんが、とっても大切なメッセージですから、できるだけ心に留めてくださると嬉しいです。
まず一つ目は、「あたりまえ」ということの意味です。今日、楽しく歌ったり、お友達の演奏を聴いたりできたこと、また、今、お友達や先生、そしてお父さんやお母さんと一緒にいられること、これからお家に帰って晩ご飯を食べて、お布団に入ってぐっすり眠れること、みんなみんな「あたりまえ」のこととして過ぎていきますよね。けれど、それをしたくてもできないお友達も、いっぱいいるんだってことを覚えておいて欲しいんです。今この時、病院のベッドで苦しんでいるお友達もいるし、世界には、戦争の恐ろしさに怯えているお友達や、お腹を空かせて苦しんでいるお友達も、いっぱいいるんです。普段「あたりまえ」と思っていることが、実はそうではない、ということ! それはきっと、それらを失った時、本当の意味で分かる事なのかもしれません。
それから二つ目に、「大切なものは目には見えない」ということ。これはサン=テグジュペリの「星の王子さま」に出てくる台詞です。人はとかく、目に見えるものだけで物事を判断してしまいがちですが、本当に大切なものは、目には見えないものなんです。目に見えるものは、やがて消えてなくなるけれど、いつまでも残るものは、目には見えないものだということ。そして、心の目で見つめる、ということに気付いて欲しいと思います。
最後は「命」について。自分は何のために生かされているのか、自分の役割はいったい何なのか・・。それに気付いたら、自分自身とても幸せだし、お友達も皆それぞれに役割があって、存在価値があるんだということが分かったら、「いじめ」も起きないと思うんです。また、それを世界にたとえたら、「戦争」も起こらないと思うんです。与えられた命を大切にしていくことが、すべての平和につながるんだと思います。
どうぞ、いつも何気ないことにも感謝して、「心の瞳」で見つめながら、日々を過ごしていってください。
・・・・○○保育園のコンサートでのメッセージより
〜ある日の思い出〜
20代後半の頃のこと。ピアノが置けないアパートに住んでおり、実母の店舗住宅の2階に置かせてもらったピアノで練習するために、毎日800m程の距離を一人で歩いて通っていた。その途中、ちょうど中程の所に小学校があり、よく小学生の下校と一緒になっていた。
ある日のこと。一人の子供が「宇宙人!!う〜ちゅう〜じ〜〜んっ!」と叫んでいる。こっちは一人で白状片手に必死で歩いているのに、周りの音をかき消すほどの大声でわめいている。全くもってはた迷惑な話だ。何度かくり返し出くわしたが、それでも何とか歩いて目的地まで行っていた。そんなある日、いつもは後ろから聴こえていたその声が、歩いている自分のすぐ前に来て目の前で叫ばれ、「宇宙人」という言葉が、実は自分に向けられている言葉だったということが分かった。(まさかあの子どもが、盲ろうの福島智(東大教授)の著書「渡辺荘の宇宙人」を読んでいたとは思えないし・・・。)
この出来事を校長に電話して伝えたが、「申し訳ありません。注意しておきます」のひとこと。
それから数日後のこと。いたずらっ子が「そっちじゃないよ、もっと右、右。そこを曲がって!」と声を掛けて来た。こちらとしては何百回となく往復した道でもあり、分かってはいたつもりだが、もしかしたら今日は工事か何かしていて、いつも通り通れないのかも・・と思い、言われるままに右に行くと、そこは車道。危うく轢かれそうになった。これまた校長に電話して伝えると、今度は平身低頭、謝罪の言葉を伝えてきただけでなく、「教師研修を開くから、講師として学校に来て話して欲しい」と言われた。
さすがに事の重大さに気付いたのだろう。教師相手に1時間ほど話をさせてもらった。そもそも教師が障がい者のことを何も分かっていないし、どう接していいのか分からないのだから無理もない。日本の隔離教育が悪いからと言えばそれまでだが、自分に関係のない事だから考えようともしていない。まあ、それはそうと、その日以来、いたずらはなくなった。そして遠くで、「あれは目が見えない人で、杖をついて歩いているんだよ。邪魔したらいけないんだよ。」とヒソヒソ話す声が聞こえてくることはあっても、直接声を掛けてくることはなかった・・・。
視覚障がい者は音を頼りに歩いている。何が不便で何が大変なのか。困っている様なら声を掛けて助けてあげよう!手引きして一緒に歩いてみよう!声の掛け方、手引きの仕方、例えば道で出会ったら、駅のホームで出会ったら・・・と色々話したのだが・・・。まったくもって教育は難しい・・・。しかし、この事のお蔭で、今では講演家として、全国各地の学校や人権コンサートで話をさせて頂くことになっているのだから、あの「宇宙人」と言った子どもに感謝しなければならないのかもしれない。まあ、とにかく、こちらも根気よくあきらめずに伝えていかなければならないのだ。